今月の栞 2014年7月 松岡新一郎先生 (フランス語)

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  志賀直哉 著
『小僧の神様 城の崎にて』
新潮社 2005
   中学に入って間もない頃、国語の教材として志賀直哉の新潮文庫が一冊配られました。その一篇、「城の崎にて」を題材に、人間の「生と死」について議論するとのことでした。小学校を出たばかりには些か重過ぎる話題ですが、結構活発な意見交換があったようです。しかしながら、何故か私はその時の様子を何一つ覚えていないのです。
 年月のせいではありません。作品のあまりの衝撃に、議論どころではなかったのです。この小説、冒頭からしてとんでもない。「山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉に出かけた。」たったこれだけなのです。大事故ではないですか。もう少し説明してくれても良さそうなものです。先でもっと大切なことがある故、省略するというのでしょうか。しかしこの主人公、わざわざ温泉まで行って風呂も芸者もなしで、小動物の観察ばかりしているのです。私は激しく動揺しました。
 観察結果のいちいちにも納得がいきませんでした。金串の刺さった鼠が子供たちに囃し立てられている様を見て、「あれはおそろしいことだ」と言うのですが、闘牛場の牛を見ている訳ではありません。鼠の負傷を観察できるくらいの距離に、気難しそうな男(志賀直哉の写真をご覧あれ)が立って、睨んでいたら、そちらの方がよほどおそろしい。よく子供たちが逃げ出さなかったものです。またいもりが「いい色」をしているのに感心して、からかってやろうと石を投げたら、偶然当たって死んでしまったと言います。いもりの器量を見分けられるくらいの近距離から石をぶつけて、故意でなかったなどと誰が信じるでしょう。
 たとえ経験に基づくとされていても小説は決して現実の忠実な再現ではなく、それ自体で独立した世界を構築するものであり、私を狼狽させたぶっきら棒な言葉も、あまりにも身勝手な眼差しも、すべてそうした世界へと私たちを導き、離さぬための見事に計算された仕掛けであったと今なら分かります。しかし当時の私は唖然とするばかりでした。
 志賀と同様、無駄を一切省いた言葉で精緻に組み立てられた小説世界を作り出す現代作家の長編を二つ紹介します。小川国夫の『試みの岸』と河野多恵子の『秘事』です。こちらもぜひご一読を。

志賀直哉、『小僧の神様、城の崎にて』、新潮文庫。
小川国夫、『試みの岸』、講談社学芸文庫。
河野多恵子、『秘事、半所有者』、新潮文庫
       (品切れ中、アマゾン・マーケットプレイスで1円から入手可能)
  図書館員からひとこと