今月の栞 2013年1月 山口博史先生 (作曲・音楽理論)

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  ジャン-ポール・サルトル 著
『嘔吐』
人文書院 2010
     昔から本が好きで、文学も和洋を問わず乱読気味だったが、特に大きな感銘を受けたものは中2の時に読んだ『ジャンクリストフ』(ロマン・ロラン)、中3の時の『チボー家の人々』(デュガール)、19才の時の『嘔吐』(サルトル)、40代後半の時初めて良さが分かった『失われた時を求めて』(プルースト)、と何故か皆フランス文学であった。

   当時、『嘔吐』を読んで感じたのは、私の思っている事、書きたかった事を書いてくれているという共感で、それは子供の頃読む冒険小説の読者が主人公に自己同化して楽しむものに似ている。

   1973年、私は個人で渡仏し、パリ国立音楽院を受験したのだが、はじめの数ヶ月はフランス語の準備が甘くて会話にも苦労し、音楽的挫折や孤独感、何の為にパリに来たのか?等の徒労感などに悩まされていた。散歩の途中、テルヌの本屋で思い切って『嘔吐』のフランス語の文庫本を買った日の事はよく覚えている。どんよりと曇って暗く寒々とした日だった。気難しげなおやじから、恐る恐る本を買う。『お前に読めるのか?と主人に言われないだろうか?しかし、この本なら読めるのだ。日本語で隅から隅まで知っているのだから』と私は日記に誇らしげに書く。

   『嘔吐』の詳細は記さないが、当時私が悩んでいた全ての事、神と人間、存在と創造、自由と孤独、愛と性、社会の不条理などについて明晰なロカンタンの記述が楽しい。

   19才の時には、本当にわからず予感していたもの…創造の苦しみ、孤独の深さ等、私はパリ留学で思い知った。リルケの『マルテの手記』にあるパリの恐ろしさ等にも通じるが、生活すると段々分かってくる。

   社会生活の茶番をあばくロカンタンは19才の私には小気味良かったが、特に『存在への不安』には共感した。デュシャンやケージに惹かれたのもこの頃である。

   「創造とは存在を作り出すものだ。しかし存在するものは既に十分あるのだ。」

   「芸術に慰安を求めるという馬鹿者がいる。美は彼らに同情的であると思っているろくでなしめ」

   彼が多分唯一、愛して別れた恋人アニーとの場面は最も魅力的な部分だが、ここでは省く。

   19才の私にとって『悪霊』のスタヴローギンより更に強靭で明晰に思えたロカンタンは自殺することもできず、その孤独に救いはないのだが、最後に彼を救うのは何と「音楽」なのだ。それも古いジャズの歌とサキソフォーンの調べである。「これらの音は存在することからまぬがれている」「存在から脂肪を搾り出すこと。最後にサキソフォーンの硬い音を奏すること。これが私を解く鍵である。」

   のちにサルトルはこの小説を否定した。私も今読むと19才の私が読んだ『嘔吐』ではない。しかし私は若い頃、この本に出会って本当に良かったと思う。人は色々な道を行くが、この本は私を苦しいが素敵な道に導いてくれたからである。

  図書館員からひとこと