今月の栞 2012年10月 今村央子先生 (音楽理論)

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  小川洋子 著
『猫を抱いて象と泳ぐ』
文藝春秋 2011
     なんと想像力をかき立てられる題名でしょうか!今までにこのような不思議な題名に会ったことはありません。新聞の書評欄にこの本を見つけた時、「どんな物語?すぐにこの本を読んでみたい」と、さっそく書店で手に取ったのを覚えています。
   物語は、チェスを指すからくり人形“リトル・アリョーヒン”の中に身を潜め、チェスを指すリトル・アリョーヒンその人について描かれています。彼はからくり人形の中という、限られた暗く狭い空間にいながら、誰よりも深く広いチェスの海を旅した棋士であり、チェスにより、伸びやかなメロディーを奏で、調和のとれた和音を響かせ、そして、美しい詩を綴ることができた希有な人物でした。
   全編を通して、しっとりとした静謐な諧調に満たされ、読者もまるで広く深いチェスの海をただよっているような錯覚にとらわれます。寡黙なリトル・アリョーヒンにそっと寄り添うような、控えめながらも温かい愛情が、小川洋子さんの文章から伝わってきます。登場人物の様子や仕草などを語るときの、細やかで研ぎすまされた言葉遣い、対照的に大胆で生き生きとしたチェスの駒の動きなど、物語全体が、リトル・アリョーヒンの綴るチェスの詩と響き合い、一遍の詩を綴るかのように、優しいタッチで丁寧に紡がれていきます。比類ない美しさをたたえて静かにそこに佇んでいる、という感じの作品です。
   大切な本番が終わってホッと一息ついた時、ぽっかり心に穴があいてしまったような時、心がざわついて不安定な時などに、特にお勧めです。
   どんな場所であっても、自分の居場所を見つけて打ち込むことの尊さ、必要とされる場所で能力を発揮することの素晴らしさを教えてくれる一冊です。


  図書館員からひとこと