今月の栞 2012年9月 松沢孝博先生 (幼児教育学・教職科目)

KS00043
『最後の
子どもたち』

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  グードルン・パウゼヴァング 著
『最後の子どもたち』
小学館 1984
     幼い頃、長崎で被爆し何とか生きてきた両親は、毎年8月9日の11時2分頃になると、短い時間であったが当時の悲惨なそして悲しい様子を話した。時に母親は泣きながら話すこともあった。8月9日以外の日でも、私が夏の暑さに対して「暑い!」と不満げに言葉を口にすると必ず「もっと熱い熱風で祖父母や兄弟が死んでいった」と言った。今でも「暑い」という言葉を見聞きすると当時の母親の言葉と表情が思い出される。高校時代になると、私の方が核の恐ろしさを伝える必要があることを考え始めた。たまたま高校の国語の時間に、教師が私に「ある言葉を使って文章を作るよう」指名してきた。私は教師から言われた言葉を使い、核の恐ろしさについて文章にした。教師は、「言葉の使い方はよいが、絵空事のような内容の文であり解答としては不適切である」といい、教師の表情と言葉遣いからも完膚なきまでに否定されたと感じた。しかし核にまつわる安全神話だけが増幅されていく違和感と悔しさが伏流となり、時間だけが過ぎていくなか、「最後の子どもたち」に出合ったのである。溜飲が下がる思いで一気に読み終えたことが思い出される。話は東西ドイツ冷戦時代、西ドイツでごく普通の5人家族が祖父母の家に行く途中、アウトバーンを降り目的地に近い所まで来た時に、突然の閃光と激震、熱風が家族を襲う所から始まる。何が起こったか分からないまま家族が被害に巻き込まれていく。身近な人も、出会った人もたとえ生き残ったとしても次々に死んでいく。核が落とされてから人々の変化、環境の変化を、13歳の少年が見たものから語られていく。その現実感に圧倒される。そして子どもから「おとなは何もせず黙ってみていたこと.仕方ないと諦めていたこと.核兵器があるから平和のバランスが保てると飽きもせず主張してきたこと.心地よさと快適な暮らしを求めて忍び寄る危機に気づきながらも直視しようとしなかったこと」そして「平和の為に何をしてきたのですか?」と問われた時におとなはただ首を横にふるだけだった。
   二十数年前の問いかけであるが、今日、今まさにどう応えるかが問われているようである。

  図書館員からひとこと