今月の栞 2012年2月 花岡千春先生 (ピアノ)

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  ロマン・ローラン 著
『ジャン・クリストフ』
岩波書店 1986
     『芸術家という仕事は、何かしらハンディを負った時点で、漸くその仕事の本質が見えてくるものである』といった文章を読んだことがあります。「ハンディ」という言葉が相応しいかどうかは別として、自分の限界を知って煩悶することは、この世の営みの全てに亘って必要なことのように思います。ことに音楽を生業とする者:演奏する、論ずる、教える、そしてその音楽を作る者たちすべては、苦しみながら、一生を掛けて自分の可能性と居場所を思い知り、それでも音楽を続けていこうとするのではないかと思います。
   ごく若い時期から器用にお金を稼ぎ出せることも、或いは人の機嫌を上手に取り結んで上昇していくことも、音楽で食っていくことを具現化するという意味で、なるほど素晴らしいことなのでしょうが、かつての、音楽に真っ向から対峙し、苦しみながらも研鑽を積むことのみが「認められる」唯一の方法だと信じていた時代を貴く思う人間にとっては、そういった生き方にはどうも苦々しい思いしか抱けない、というのが正直なところです。
   クリストフの不器用ながら真摯な音楽への姿勢、オリヴィエとの友情、グラチアとの高潔な愛、などなど、それこそ貴い事々がこの本には詰まっています。クリストフの精神的危機を幾度も救ってくれるのが、行商人の伯父ゴットフリートだというのも興味深い。
   大河小説(roman-fleuve)とは、ロマン・ロランの考え出した言葉です。決して難渋な表現などない群像小説なのですが、この長編を読み通すのは些か骨の折れることであります。しかし読み終わった後、爽快な達成感に満たされ、自己の浄化を感じるのは確実です。
   この本に出逢った中学生のころ、学校の図書館で借りたばかりのこの本をのぞき込んで、僕を揶揄した先輩の声を、あの図書館のかび臭い匂いと共に思い出します。久し振りに手にとって、得も言われぬ思いに満たされました。そんな意味でも、大切な本です。



  図書館員からひとこと