今月の栞 2011年11月 小林一男先生 (声楽)

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  マーティン・ゴールドスミス著
『交響曲・不滅』
産業編集センター 2002
     僕はイタリアに留学しイタリアでの成功を夢見ていた。留学して早々に襲った経済不況下のイタリア事情や、個人的にも資金が底をつきイタリアどころかヨーロッパにとどまる事さえ難しくなってきた状況で、僕はドイツに職を求め、オペラ歌手として北ドイツ、オールデンブルグの町に生活した。その失意の2年間は、年がら年中、町中や郊外を、彷徨していたことしか記憶にない。 世界中から一人取り残された気分で、加賀乙彦の「フランドルの冬」の主人公が、寒い雪の町外れで宿を探して歩く失意の姿に、何度も自分の境遇を重ね合わせていた。 それから30年後に出会ったこの「交響曲・不滅」の本の中に見つけた、私と同じ音楽家の、全く違ったオールデンブルグの記憶と、想像を絶する音楽家としての人生に大きな衝撃を受けた。 オールデンブルグはヒットラー率いるナチス党が最初に結成された町である。本の主人公たちにとってはナチスが台頭してくるまでのオールデンブルグでの生活は、僕が経験したものより、はるかに幸せであった。 しかしナチスの迫害を受け、店を取り上げられ家族をバラバラにされ町から去ってゆく時の彼らの記憶の重々しさは、僕の場合などとはとても比較できない想像を絶するものであった。この本に出会い町の過去を知った事も重要だったが、僕の心に最も強く突き刺さったのが彼らの「音楽家」としての人生である。彼らのように1年中ほとんど毎日、音楽を演奏している演奏家、音楽家は今の現在でも居る。でも彼らにとっては音楽家である事はまさに生き残る為、自分が人間であるための唯一の条件だった。彼らにとって音楽とは、音楽するという事は何を意味したのだろうか?少なくとも今の現在僕らが、貴い芸術、音楽を職業とした、として、自己満足のために、選ばれた才能を誇示したりするために口に出すものとは全然ちがうものではあろうと思う。学生の頃ベートーベンの伝記などを読んだりして教えられてきた音楽という言葉には人生、苦しみ、絶望などの意味も大きな割合で含まれていたような気がする。今と昔とそれぞれの時代によって音楽するということの意味する所がかなり違うのは必然である。音楽は普遍ではあるが、音楽家といっても、人間が音楽をする以上それは不変ではあり得ない。自分の今を考えて、死ぬまでに音楽家である事、音楽家であった事をどう証明してゆくのか重い課題をもらった本である。ぜひ読んでみてください。



  図書館員からひとこと