今月の栞 2010年10月 礒山雅先生 (音楽学)

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  三島由紀夫著
『豊饒の海』(春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰)
新潮社 2002
   大学生の頃、三島由紀夫に心酔していた。『仮面の告白』に驚き、『不道徳教育講座』で裏からの見方を学び・・・。しかし感動をもって読みふけり、連載誌『新潮』の発売を待ちかねるほど傾倒していたのは、絶作『豊饒の海』である。大詰めが近づいた頃。妙にストーリーが停滞しているのをいぶかしんでいると、自衛隊での割腹事件が起こった。さすがに衝撃を受け、その晩は、ウィスキーを1本半空けたことを覚えている。事件は政治的行為というより性的な願望の成就ではないかと、当時の私は思ったものである。
 『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』という四部作の構想は、ワーグナーの『ニーベルングの指環』にヒントを得たものだろう。だがじっさいに展開されているのは、古代インドに由来する、輪廻転生の哲学である。しかしそれさえも虚構として最後には崩され、物語は、「この世には何もない」という三島のニヒリズムへと収斂して終わってゆく。
 今の私が、ニヒリズムを信奉しているわけではない。だが、彼の虚無主義の洗礼を受けて、本当に良かったと思っている。人生の恵み、出会いの幸福、人情の尊さなどへの喜びと感謝は、徹底した懐疑をくぐり抜けてこそ、本当に得られるものだと思うからである。その意味で、著作をまったく読まなくなった今も、三島は私の人生の師である。


 
  図書館員からひとこと