研究紀要 46 (2011)  請求記号 = [PB102 46]

著作者 礒山 雅 ( ISOYAMA Tadashi )
タイトル 《ロ短調ミサ曲》の受容と現在 : その「普遍性」をめぐって
( Rezeption und Gegenwart der h-moll-Messe von J. S. Bach )
ページ 51-60
本文の言語 日本語
キーワード バッハ / 《ロ短調ミサ曲》 / 日本初演 / 普遍性
抄録  バッハの《ロ短調ミサ曲》は、昭和6(1931)年に、東京高等音楽学院(本学の前身)によって、両受難曲に先立ち、日本初演された。ただし〈クルツィフィクスス〉楽章は、明治26(1893)年に東京音楽学校(現東京藝術大学)によって、「富士登山」という歌詞のもとに部分初演されていた。《ミサ曲》に関する情報の摂取は早かったものの、ラテン語典礼文を歌詞とする作品の理解は、日本では容易に進まなかった。理解の鍵を握るのは、「普遍性」の概念である。普遍性への指摘はまず野村良雄(1949)によって行われ、小林義武の資料研究を通じて展開された(「エキュメニカル・ミサ曲」の概念)。最近の研究が指摘するのは、バッハの最晩年における〈ニカイア信条〉以降の補完が、ドイツ語カンタータからラテン語教会音楽への、当地のシフトを前提としたことである。バッハ自身が普遍性への意識をもち、宗派と時代を超えようとして完成させたのが《ロ短調ミサ曲》であった。