音楽研究 25 (2013) 請求記号 = [PB102D 25]

著作者 葛西 健治 ( KASAI Kenji )
タイトル ベートーヴェンの有節歌曲《Lied aus der Ferne》 作品分析と未出版の問題について
( Beethovens Strophenlied 《Lied aus der Ferne》 : Eine Analyse und das Problem der Unveröffentlichung )
ページ 29-44
本文の言語 日本語
抄録  ベートーヴェンの歌曲において《Lied aus der Ferne》は、一般に通作歌曲のWoO137として認識される。しかし、1990年に刊行された新ベートーヴェン全集の該当巻では、WoO137は《Gesang aus der Ferne》とされており、《Lied aus der Ferne》は有節歌曲《Der Jüngling in der Fremde》WoO138の「異詩同曲」として、旋律譜のみでWoO138に併載された(下線は筆者による)。ところが、自筆譜において完成しているのは《Lied aus der Ferne》であり、《Der Jüngling in der Fremde》については、出版はされたものの、《Lied aus der Ferne》からテキストが入れ替えられた経緯が明らかではない。ではなぜ自筆譜で完成していた《Lied aus der Ferne》は出版されず、《Der Jüngling in der Fremde》だけが出版されたのであろうか。そもそも、この同一音楽上のテキストの入れ替えは、どのような理由に基づき、どのような経緯で行われたのであろうか。
 本稿の目的は、以上の点に考察を加えることにある。まず始めに《Lied aus der Ferne》の詩と音楽の分析を行い、《Lied aus der Ferne》が、後続節全体にまで配慮の行き届いた、完成度の高い有節歌曲であることを明らかにした。一方で、《Der Jüngling in der Fremde》については、すでに第1節から詩と音楽の不一致が顕著であり、作品としての完成度は《Lied aus der Ferne》に著しく劣るものであることを確認した。こうした事由に立脚し、音楽に全く修正がなく、甚だ創意に乏しいテキストの入れ替えに、ベートーヴェンが関与していなかった可能性を主張した。
 さらに、《Der Jüngling in der Fremde》や通作の《Lied (Gesang) aus der Ferne》等、ライシッヒ Reissig(1784-1847)の詩による5つのベートーヴェン歌曲が収載された『様々な楽匠によるピアノ伴奏付き18のドイツ詩集 ACHTZEHN DEUTSCHE GEDICHTE mit Begleitung des Piano-Forte von verschiedenen Meistern』の出版事情に、有節の《Lied aus der Ferne》が未出版とされた要因を推定した。ライシッヒの詩に基づく歌曲集の出版は、詩人と出版社によって独断で行われ、そこにベートーヴェンの意思は反映されていなかったと見られる。ベートーヴェンは後に、そこに収められた歌曲を他社から再版したが、《Der Jüngling in der Fremde》だけは例外的に再版されていない。ここに、ベートーヴェンが《Der Jüngling in der Fremde》を自身の作品とは見なしていなかった可能性が指摘できる。以上に鑑みて、《Der Jüngling in der Fremde》へのテキストの入れ替えが、詩人もしくは出版社によって断行され、原曲である《Lied aus der Ferne》は、ベートーヴェンに無断で未収載にされた、という仮説を提示した。
 作品の価値を判断する上で「出版」は重視すべき事柄であるが、自筆譜において完成されていた《Lied aus der Ferne》が、未出版のゆえにこれまで正当な評価を受けてこなかったのは遺憾である。むしろ「出版」によってベートーヴェンの作品として認知されてきた《Der Jüngling in der Fremde》に関して、成立事情に不明確な点が多く、作品としての完成でも原曲に劣っていることを、再認識する必要がある。
 《Lied aus der Ferne》への新たな視点をもとに、同じ詩に対してさらに《Gesang aus der Ferne》WoO137が作曲された経緯に考察を加えることが、今後の課題となろう。